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しりあがり寿『ジャカランダ』

実にありふれた、いつも通りの平和な、そしてある意味で腐敗し狂気を孕んだ現代社会の風景が点々と映し出される。人々は湯水のように流れる情報と高度に整備されたシステムのなかにある。そこでは、あらゆる問題に対してそれらしい理由をつけ理解したつもりになっては、また次の話題へと移行し忘れていく。そんないまさら槍玉に挙げるのも気が引けるような、本当にありふれた風景である。しかしある時、どこからともなく芽を出したジャカランダの木が生長し、やがて都市を引き裂いては飲み込み、息をつく間もなく未曾有の大破壊を巻き起こす。その大きな力の前に、人々はなす術なく頭を垂れる。本作は「なんのストーリー的な工夫もなければ人間のドラマもないただのシチュエーションの描写、言って見れば四コママンガを三〇〇頁にのばしたようなもの」(あとがきより)と作者が語ったとおり、たったそれだけの物語だ。ここにはそれらしい理由などはなにひとつとして存在しない。ただただカタストロフィがあるのみである。一筆書きでモノフォニックに描かれたであろうこの作品は、現代社会への警鐘として、あるいは来るべき天変地異への畏怖として、または破滅へのデストルドーとして、あらゆる読み方がなされたであろうと想像される。少なくとも、05年に刊行された時点では。

僕がこの漫画を初めて読んだのは、ツイートのログなどは残っていなかったがおそらく2011年の4月頃のことで、つまり忘れもしないあの東日本大震災の直後のことだったと記憶している。ただ、それは震災があったからこのようなカタストロフィックな作品を手にとったということではなく「しりあがり寿の漫画を読もう」と思って、ただ偶然に購入したものだった。何にせよ、震災の以前と以降ではこの作品が与える印象は大きく異なるだろう。11年の11月に本作の新装版が刊行されたのも、あきらかに「あの日」を踏まえてのことだ。新装版ではカバーは明るい空色に差し替えられ、「人類再生」の物語としての部分が強く明確に強調されていることが帯文からわかる。それはある時点でのムードとして、決して嘘ではなかっただろうし、間違いでもなかったはず。本作が、悲劇のあとの大いなる復興のための寓話として、この上ない筋書きと気力を兼ね備えた作品であることは、確実に言えるのだから。

そして時はふたたび流れた。事件直後の悲しみと怒りの熱は喉元を通り過ぎて、人々はまたそれぞれの生活に戻った。あれから多くのことが判明して、そして様々な出来事が起きた。いまはまだ整理することのできないようなことも。しかし、この国が舵を切った方向はひとつの総意を示している。それはつまり、あの頃求められていた「復興」とは、新しいスタートを切ることではなく、過去に戻ることだったのだと。保守に大きく傾いたこの二年半の動向を鑑みればいい。状況としては、あの事件は悲劇的な災害である一方で、結果として多くの人々の価値観に揺さぶりをかけるきっかけとなったことは確かで、端的にいって日本をやり直すチャンスだった。それでも、何かが解体されるというようなことはほぼなかった。多くの人々の口にする「復興」があくまでヒューマニズム的な、人間本位の再生を指している一方で、「理性より官能、対話より暴力、建設より破壊」(あとがきより)に可能性を見出していたという本作のメッセージ―宇宙規模の超越的な力による人類や文明の敗北、宗教的な意匠への回帰―が「復興」と結びつけられるのは、今にして思えばどうも座りの悪いことのように思えなくもない。

今回再読してみて、個人的にはあの日の緊張状態を呼び覚ます”よすが”であると同時に、文明への反省としての部分を強く意識させられた。破壊描写が本当に凄いが、その崩壊の一端は人間の驕慢と暴走の連鎖によるものであることがわかる。それはまさに、こんな国は破壊されてしかるべきであるといった、”不謹慎”な考えがふと頭をよぎらなくもないような……。事が起きたとき、あらゆる矛盾とどうにもならない混乱を覚悟する必要がある。人々はまだ体裁を取り繕い、既得権益を守ろうとするのだろうか? そんなことを企むのは、本当は一部の人間だけのはずだが。自分たちの為、未来の為に、個人個人の身の振り方をもう一度改めて考えてみてもらいたい。

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新装版 ジャカランダ / しりあがり寿
販売価格(税込): 1,680 円
A5判並製
発行日: 2011/11/11