辰巳ヨシヒロ『劇画漂流』

戦後間もない頃、手塚治虫がその地平を切り開いた「まんが」とは戦前より綿々と続く「漫画」の延長上にあるものであり、《漫》という字が含むそのニュアンスの通り、それは「単純・軽妙な筆致で描かれた、こっけい・誇張・風刺・ナンセンスなどを主とする絵」(大辞泉)を意味している。その文化的発展とともに表現、内容が膨大化・細分化した結果、《漫》の圏内から外れることも多々ある現代以降の作品のことを「マンガ」と呼ぶ。それらの経緯に関してはみなもと太郎・大塚栄志共著『まんが学特講 目からウロコの戦後まんが史』(角川学芸出版)に詳しいが、つまりは「まんが」「漫画」「マンガ」というそれぞれの表記には少なからず意味がある。「MANGA」は英単語のmanga=「[名](日本の)漫画」(ジーニアス英和辞典)であり、即ち日本のマンガが海外へと輸出され一定の地位を確立し、国内外からの日本のマンガ作品に対する視線までもを内包した言葉としての「MANGA」である、など。それらの表記は、マンガに対する批評性と歴史観を孕んでいる。

「単純・軽妙な筆致で描かれたこっけいな絵」から始まった漫画を表現上の発明により、新たなフィールドへと押し進めた手塚以降の戦後まんがの大海のなかで、やはり手塚の影響を受けてその道を志したひとりの青年であった辰巳ヨシヒロは、それまでのマンガ表現の枠を押し拡げるための新たなコンセプトを模索していた。その実験と試行錯誤の末に生み出された、《もっと奥深い心理劇》を描き出すためのソレは最早「まんが」と呼ぶことのできないものであったために、青年は自分が生み出した新しいマンガのメソッドを「劇画」と呼ぶこととなる。本作は、やがてマンガの一大潮流となる劇画の発明に至るまでの過程を描いた自伝的大作である。本編にも登場する松本正彦ら当時の関係者に取材を行い史実的な裏付けを取りながら、劇画の誕生をその舞台裏から描いた本作は歴史的資料としての価値も大きいが、何より、若者たちが時代の趨勢に感応しながら、新たな表現を生み出すまでの苦悩と葛藤を克明に描き出した大河ドラマでもある。本作の連載が終了せんとするあたりから海外で大きな反響を呼び、2005年にアングレーム国際漫画祭特別賞、2010年にアイズナー賞最優秀アジア作品・最優秀実話作品賞を獲得している。国内では2009年に手塚治虫文化賞大賞を受賞した。

新しいマンガ表現を呼称するにあたって「劇画」という言葉を開発しようとするその裏側には、やはり当時現行のまんがに対する批評的な眼差しと新しい歴史観を創出しようとする試みがある。前述の『まんが学特講』においても大きく触れられていることだが、この国における正統なまんが史というものは、《手塚~トキワ荘~24年組》的な歴史認識のもとに編纂されているフシがある。それは確かに一面では正しい。が、恣意的に編纂された歴史とは常に物事の一面に過ぎないものであり、現実はより複雑で多面的である。あとがきによれば、連載が開始した95年、オウム真理教による地下鉄サリン事件を受け当時のメディアは「劇画世代の犯罪」といった形容でもって事件を大々的に報道したという。そうしていつしか定着した「劇画=悪」という誤解を解かんとするために描かれはじめた本作は、それ自体が一側性の戦後マンガ史に疑問を投げかけ、新たな歴史を編み出す語りでもある。

しかし、本作の物語は60年の新安保条約批准の頃、時代の大きなうねりのなかで日本の空気が変化し始めるその時までで一旦終了している。ゆえに、劇画の主戦場が貸本屋の衰退により雑誌メディアへと変遷していく過程、青林堂の設立および『ガロ』の創刊、白土三平『カムイ伝』以降の劇画ブームといった、日本のマンガシーンが地殻変動起こすその瞬間……劇画を語るにあたって肝心の、最も華々しい日々のことがまだ触れられていないのだ。さらには、本作のプロローグ、95年の手塚治虫七回忌をあとにした勝見が、なぜその漂流の果てに絶望しているのか? それら経緯も無論、語られていない。語られるべき歴史は、まだまだ存在するはずだ。現在はカナダの出版社からの依頼があり、第二部を執筆中だという。それらの物語を読むことが出来る日をただただ待ち望むばかりだ。

Buy Now

劇画漂流(上) / 辰巳ヨシヒロ
販売価格(税込): 1,680 円
B6 判並製
発行日: 2008/11/20

劇画漂流(下) / 辰巳ヨシヒロ
販売価格(税込): 1,680 円
B6 判並製
発行日: 2008/12/20