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花輪和一『猫谷』

JAPANなどというなにかと罰当たりな国に住んでいる自分は折に触れて宗教心とは一体何の為に存在するのだろうといったようなやはり罰当たりなことを考えることがある。や、それは人類が有史以来取り組んできた課題であって、そこで答えを出すことができたとしたらそれ即ち”悟り”であり、俺は伝導者になれる。そもそも俺はそこまで真面目に考えていない……ただ一番自然な状態とはどのようなものであろうとは思う。宗教心も道徳心も結局のところ社会のなかでの機能の仕方は同じようなものであって、「お天道様が見ている」というのはつまり「世間様が見ている」ということである。たとえば、人が死んだ時に葬式を出さなかったら白い目で見られる、とか。ディシプリンを積むのは社会とか政治とか主に誰かのためであったりするのは何故なのか。正直な心につけ込んで権力や金銭を掠め得ようとする人間までいる。本当に自分自身のための信仰というものは、果たして存在するのか。

80年代に入ってからの花輪和一は、初期のスキャンダラスでエログロナンセンスな作風から少しずつ離れ、平安~室町時代を舞台とした人の因業と宗教的救済を題材とした作風へと移行する。生きとし生けるすべてのものへの、仏教的慈悲の心……、を描いた作品群は、明け透けな言い方になるが、非常に評価が高い。『護法童子』(双葉社)という作品がこの時期の代表作と言われているわけだが、なんと現在絶版になっており、古本を求めるしかないのだという(09年に復刻版として全2巻のところを1冊にまとめてぶんか社より再リリースされているものの、それも含めて絶版)。嘆かわしい現状ではあるものの、それはさておいて、この『猫谷』も80年代~90年代の短篇を集めた作品集であり、やはり因業と宗教を主題に据えた作品が収められている。

『へそひかり』という作品で主人公である百姓の娘は、その土地の長者を神格化する独特のルール――現代で言うところのカルト的なコミュニティのなかで、子供らしい純粋な眼差しを持っているからこそ疑問を抱いている。「わからないなあ、どうしてあれがえらいんだろう、あたしは悪い子なのかな」と考えに考える。そんなある日、近所に住む夫婦の秘密を口から滑らせてしまったことをきっかけに、村人のリンチに遭わせ死なせてしまったことを知り、彼女は社会に絶望するのだが、その瞬間に観世音さまに邂逅、突然の悟りを開く。「そうかわかったぞ、この世はうその世界だ」との言葉とともに、村から走り去ろうとする。『ゆげにん』では、里親に毒を盛って殺し、処刑されることになる子供が主人公。この村も同様にカルト的な体制が敷かれており、処刑された人間はその身体に刻まれた特徴的な文様を引き継いだまま、新しく転生するのだという。しかしそんなことは願い下げと言って主人公の子供は毎日毎日首を鍛え続ける(寝ている間も頭の上に石を置き、少し首を持ち上げて寝る)。尋常じゃなく首が強くなったことで、吊るされるものの一命を取り留め、死の際で見た彼岸の風景を語り出す。様々な景色を見た彼女(女の子です)はやがて、他人の幸福を祈ること、生きるということを実践するようになる。

粗筋を紹介したに過ぎないのでうまく伝わっていないのではないかと思うが、これらの作品には、信仰することへの超然とした態度が表れているのではないだろうか。欺瞞を疑い、利己も利他もなく、あくまで自分自身がひたむきであるということへの態度が。それはひとりの人間が、何にも邪魔をされず、より清らかに正しく生きるための、シンプルなルールである。そして、これらのシンプルなルールは、往々にして近代的な価値観にはそぐわないものだ。社会に対して何かしらの不具合を感じている人間は、表面的で安易に尖った作品などではなく、こういう作品に触れた方が絶対にシンパシーを感じるはずだと俺は思う。そもそも花輪和一という作家ははじめから良識に向かって唾を吐いていたではないか。時代物で宗教的であるという点で本作を「とっつきにくい」と捉えるだろうか? しかし、ここに収められた作品はどれも実にユーモラスだ。『へそひかり』『ゆげにん』もだいぶ可笑しいが、背負った業を洗い流そうとする毒婦を描いた『ぎぼごや』などは最高に可笑しい(本当に……すごいのである。毛穴から流れ出る業で川の魚が苦しがって陸に上がったりする。アクの強い女が野原を駆け回る)。おもしろい&ただしい、ゆえに超・推薦図書。仏心を持って読むべし。

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改訂版 猫谷 / 花輪和一
販売価格(税込): 1,365 円
A5判並製
発行日: 2007/05/25