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島田虎之介『東京命日』

前作『ラスト・ワルツ』から3年の時を経て刊行された第二作。この刊行ペースは本作以降も続き、13年現在までに4冊の単行本を上梓。ゆえに寡作な作家として知られている。当然のことながら、これだけの構想を用意するのにはそれだけの時間を要する。物を作り出すことも消費することもファスト化するばかりのこの世界で、たった一本の物語のためにこうして手間隙をかけることは、その姿勢自体が批評的でもある。それは、創作についてまわる芸術と娯楽という二項への態度表明でもあるし、社会原則=経済との距離感を示すものでもある。自律(自立とはまた別)的に生きるということは、どこまでもハードコアなことであり……その姿勢に対して我々はただただ頭を垂れるばかりだ。さて本作には、前作同様に、やはり一見関係のなさそうな職種の人々が続々と登場する。CF会社の若手ディレクター、ピアノ調律師、ストリッパー、広告代理店のカリスマコーディネーター。そして、前作にも登場した数々のキャラクターたち。

物語の主人公・小林がCF制作会社に入社したての頃のこと、誰も彼もが強烈な個性を放つなかで、たった一人だけ《影が薄いことでかえって強い印象を残す》不思議な人がいた。彼はヒッソリと生き、そしてヒッソリと死んでいった。彼が死んだときはじめて、誰も彼のことを何も知らなかったということに気づかされる。そんな一件をきっかけにして、小林はごく個人的に、一本のドキュメンタリーを撮り始める。それは著名人の命日に集う人々へとインタビューを敢行するというもので、以来、ヒマをみては東京郊外の墓所を訪れるようになった。

そして、十二月十二日。『東京物語』『秋刀魚の味』などで知られる映画監督、小津安二郎の命日に引き寄せられ、人々は北鎌倉の円覚寺へと集まる。ここから時間はさかのぼる。本作で主に語られるのは、冒頭のシーンから一年前の、十二月十三日に至るまでの数々のドラマだ。彼らの物語には、”もうすでに亡くなってここにはいなくなってしまった人々”の姿が影を落としている。ちらつく亡霊の存在――「『麦秋』の間宮家の次男と『東京物語』の原節子の夫。二人はともに戦死していて姿を現すことはないのだけど、いないことによってかえって家族に強く影響をあたえている」(あとがきより)。時間軸は前後にシャッフルされ、パズルのように組み合わさり、巧緻なドラマの構造のなかで、《同じ時間を生きる》それぞれの物語はニアミスをし続ける。少しずつ浮き彫りになる「置き去りにされた人々はどのような想いを馳せ、そして乗り越えていくのか」というテーマ。やがて行き場のない想いは、処女地にはじめて足を踏み入れたときのようなヒリヒリとした肩の荷の重さを抱えながらも、新たな決意へと繋がっていく。そしてこの物語は、円を描くようにしてスタート地点へと舞い戻る。

改めて再読したところ、ハイテンションな饒舌でもって魅せた前作に比べると抑制の利いた作品のように感じた。派手なクライマックスがあるわけでもない。複雑ゆえに一度読むだけでは総てを浚うことはできないであろうし、何度も読み返す必要があるだろう。描かれていない部分――跳躍した時間のなかにもそれぞれの人物が歩んだ道や変化が暗に示唆されており、そしてそこに、ひとつひとつの小さな物語の落としどころ、答えがあったりもする。大きいものから小さいものまでさまざまなギミックが仕掛けられているため、読むたびに新たな発見があるわけで(パズルのヒントは描き込まれているので、気づくことができれば気づける仕組みになっている、と思う……)、その意味では、歴史に淘汰されず生き残ってきた数多の古典作品だけが持つ「繰り返し訪ねるべき強度」が、本作にも備わっていると言えよう。

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東京命日 / 島田虎之介
販売価格(税込): 1,365 円
A5判並製
発行日: 2005/01/25