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勝又進『赤い雪』

漫画を読んでいて、いや漫画に限らず音楽でも映画でもいいし、現代史の学習をしていてでもよいのだが、この21世紀にこれまでの歴史を振り返ったときに、戦後の荒廃から高度経済成長期を経て、日本のGNPが世界第二位に至るまでの経済的発展がもたらしたパラダイムシフト、それに追随する時代の雰囲気の変化というものがあまりに急激すぎて、端的に言って面喰らってしまうことがある。

たとえば音楽でいうと、1970年にリリースされたはっぴいえんどのファーストアルバム(『はっぴいえんど』)からYMOのファーストアルバム(『イエロー・マジック・オーケストラ』)が発表された78年まで8年しかないわけで、両者ともに細野晴臣というミュージシャンが中心になって結成されたグループではあるが、その8年の間でよくもまあ表現の質、ひいては時代の空気感のようなものが変わってしまうものだなあというようなことだ。高校生ぐらいの頃、書店でつげ義春の漫画と岡崎京子の漫画をたまたま同時に買い、家に帰って先につげ義春を読んでから岡崎京子を読んだのだが、果たしてこの二作に登場する国は本当に同じ国なのか?! と素朴に思った記憶がある。両作の執筆時期にはおそらく20年ほどの差があるはずだが、そこにはなんだかよくわからない断絶があるといえばあるように思える。

『赤い雪』は、すでに失われてしまった農山村のひとびとの暮らし、情景を描いた短編集だ。60年代後半に漫画家としてデビューを果たした勝又進は、さまざまな雑誌で主に4コマ漫画を執筆する一方で、これらの作品を断続的に発表したという。そのほとんどは70年代の後半から80年代の前半に描かれたものだ。漫画的な魅力を湛えたやわらかい絵であるのと同時に写実的な風景描写が魅力であり、ここにコンパイルされた土着的な空気感は、水木しげるやつげ義春といった先人に共通するものだ。だがそれは僕のような平成生まれ・東京育ちの若モンにとっては決してリアリティのあるものであるわけがないし、僕の親の世代にとってさえそれは同様のことであろうと思われる。つまりはそれだけ遠い世界の漫画であるとも言える。

しかし、不思議な親しみ易さがある。土着的であるからといってアクの強さをひけらかすようなきらいはないし、物の怪たちや精霊たちが人間をおどかしてやろうというようなケレン味もない。ファンタジックな一面も多分にあって、絶対的なリアリズムというわけでもなく、時には河童や狸が喋ったりもする。山村の人々があまりに性的にオープンだったりするのも、それはナチュラルに滲み出たものなのであろう。マテリアルな価値観をわざわざ肯定するでも否定するでもない、ただただ営為を続ける自然体の人間のすがた。それらの生活のなかに存在するフラッシュポイントが克明に捉えられ、じつに楽しげに語られているのだ。『桑いちご』のように少女が大人へと変わるさまを叙情的な鮮烈さで見せることもあれば、『夢の精』のように官能的な夜の夢をとぼけた筆致で見せることもある。本作の普及廉価版の帯に掲載された近藤ようこによる「このふるさとはまぼろしだ。けれども、だからこそ、すべての人のふるさとになりうる」というコメントには、首肯するばかりである。

この十数年、マンガ家たちは日常生活の延長上に社会を描くか、架空の未来の中に社会を描くことしかしてこなかった。ほんの少し前、まだ近代化・均質化という強大なローラーに押しつぶされない社会では、澱み、屈折し、それ故に噴出しそうにもなる情念を人は抱えていた。今、逆に、失われたその手触りや匂いを求めて、東南アジアやアフリカへ旅行する人が増えている。物見遊山は、それはそれでよかろう。だが、もっと得心のゆくものが、勝又進の短編の中に見つかるはずだ。

呉智英(解説より)

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赤い雪 普及版 / 勝又進
販売価格(税込): 945 円
B6判並製 224ページ
発行日: 2011/11/22