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まどの一哉『洞窟ゲーム』

 76年、『ガロ』にてデビュー。そのキャリアの長さにも関わらず、2010年に本作『洞窟ゲーム』が刊行されるまで、単行本としてその作品が一冊にまとめられたことが(おそらく)なかった、知る人ぞ知る漫画家。近年、評論家・竹熊健太郎(本作に帯文も寄せている)がその存在を紹介、竹熊の主宰するオンラインコミックマガジン「電脳マヴォ」上においても作品が掲載され、インターネット上で反響を呼んでいる。かくいう僕も、「マヴォ」きっかけで初めてまどの作品に触れた読者のひとりです。

 まどの作品に触れた読者は、そこで起きていることに対し、たしかに何かを感じるのだが、戸惑いを覚えたまま、最後には口をつぐんでしまう。言語化を試みるものの、うまい言葉が見つからない。竹熊健太郎ですらそうだ。正直なところ、巻末に添えられた北野勇作による解説も、作品の本質を突いて読み解けたものだとは、僕は思えなかった。語れば語るほど正解から離れていってしまうのだろう。だから、僕のような素人がアレコレと語ることは余計に不毛なことだし、できることならば今回は早めに筆を置いてしまいたいのだが。

 しかしそれでも何かしらを書き残すのであれば……表面的なわからなさゆえに、わからないということをわかることのできる(お膳立てされたアートなんてくだらないもの)漫画はときたま存在するものだけれど、『洞窟ゲーム』はわからなさがわからないままにただそこに在る漫画で、不穏かつ実直な漫画であると感じた。どこまでも飄々としているのと同時に、<人生の重さ>にも比肩するような圧倒的に暗い何かを宿している。つまり、ひとつひとつはバカバカしく見えるようで、どこまでもシリアスで残酷な人生の真理が刻み込まれているということ。現実と虚構が交錯し、立つべき足場をグラグラに揺さぶられることは(それでも相当に前後不覚をするけれど)、まだいい。『サルベージ』において海底から引き上げられた宝箱のなかに仕舞われていたとんかつ定食、『尾行』における見開きに描かれた馬と禿鷹、僕は本当にわからなかった。

 灰野敬二が先日のFREE DOMMUNEでの演奏時に「わからないことはわからないと、はっきり言え」とオーディエンスに語りかけたのは、あらゆる事象が限りなく整頓されていくことへのアンチテーゼのように僕は思った。闇のような人生にとって、説明などというものは欺瞞に過ぎないし、根源的な不可解さに、人は向き合わねばならない。

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洞窟ゲーム / まどの一哉
販売価格(税込): 1,050 円
A5判並製 200ページ
発行日: 2000/05/21