ヒエラルキー

鈴木詩子『女ヒエラルキー底辺少女』

たとえば、先輩も後輩もおらず熱心な目標も持たない文化系部活動のような、誰もが賑やかにはしゃぎながらも実にゆるやかなムードのある、校内の離れ小島で自分たちだけが支配する理想の空間、だとか。スクールカーストを主題に描いた作品はジャンルを超えて多数存在するものの、階級の下層に属する人間の、理不尽な抑圧に対する抗戦を活写するような物語ではなく、前述のような小さなユートピア的な想像力がその主流になって久しい。それは個々の関心領域が蛸壺化したこの10年の情勢からすれば当然の動きである。その方が楽なのだから、下手に張り合うのはやめて、短い青春を謳歌した方がいい。大人になったら遊んでられないんだから……。誰もが余計なことに付き合う時間がないおかげで、今はスクールカーストの底辺にいたとしても煩わされずに結構楽しんでやっていける時代なのだ。だからこそ「僕は友達が少ないだ」なんて言ってたってニヤニヤできる。本当にポストモダンな時代が現実としてやってきたのだなあ、と思う今日この頃ではあるけれど、それでもやはり、カーストとカーストの間からこぼれ落ちてしまう人間が少なからずいるもの。この漫画の主人公である桃子は、クラスの上位階級に所属してはいるものの、そのスピードについていけない落ちこぼれであり、本人は対等でいるつもりでも周囲の人間はそうは見ていないため、ことあるごとにバカにされる。しかし、桃子自身そこまで頭が回る方でもなく押しも弱いがために、疑心暗鬼になりながらも体面を保ち続けている。彼女たちが信奉している“友達”という言葉は“道徳”と同じで、社会が押し付けるある種の通念のようなものだ。クラスメートが桃子の家を訪れた際、数々の狼藉を働く取り巻きに桃子はキレて見せるものの、クラスメートは泣き出し、最終的には「仲直りの握手」で全てをうやむやにされる。納得のいかない桃子は母親から「もっと人のいい所を見なければ人からもそれなりの扱いをされない、というようなことを細木数子が言っていたよ」と無責任なアドバイスを言われる。テレビが教えてくれるような薄っぺらい綺麗事が上滑りしていくその下で、酷薄でグロテスクな事態は常に起き続けているものだ。

この作品は、男性作家たちによって理想化された女子高生像にはない、エグみのある女子高生像が描かれているのが魅力と言える。倖田來未が、薄幸の冴えない少女にとってどれだけ勇気を与えてくれる感動的な存在であるかなんて、当事者以外は知らないでしょう。このくだらなさこそが現実であり、そしてリアルだからこそ笑いがこみ上げてくる。不器用な筆致ではあるものの、だからこそ、不器用にしか振る舞えないキャラクターたちが立体的に浮き上がる。このリズムが生み出す笑いは案外にも、増田こうすけの笑いにも近いと感じた。表題作以外にも二編の短篇が収められているが、物語の結末のちぎれ具合はどれも共通のものがある。大人でも子供でもない年齢であるがゆえの、女のどうしようもない醜い部分を垣間みたい方に是非!

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女ヒエラルキー底辺少女 / 鈴木詩子
販売価格(税込): 1,050 円
B6判並製 191ページ
発行日: 2009/12/25