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Interview 窓ハルカ 3

『週刊少年チャンピオン』2011年44号掲載『鈴木華子ちゃんの戦慄』にて商業誌デビュー。2014年02月のコミティア107にて同人誌『名も無き一夜のファンタジー』を発表し、各方面から絶賛されているマンガ家・窓ハルカさん。2014年04月17日に4コマ『土鶸井先輩保護クラブ』がアニメ化されたことを記念に、甘茶茂がインタビューを敢行。 独特の「疾走感」と「逸脱感」、「性」や「知的障害」といったタブーと向き合いながらも笑いに昇華させる希有なセンス、そしてぶっとんだ世界の根底にながれる「切なさ」。これらがごった煮となった、窓ハルカワールドのひみつに迫る。

インタビュー: 甘茶茂

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甘茶
そして、短大を卒業して、就職ですかね。
いえ、卒業はしていないんです。卒業の一ヶ月前に辞めました。卒業制作が先生からOK出なかったんです。でも、就職は決まっていて、「中退でもOK」と言われたので。
甘茶
ちなみにどんな卒制だったんでしょうか?OK出ないってなかなか珍しいですよね。
「人間関係がわかる椅子」というコンセプトでした。でも、うまくかたちにできなくて。
甘茶
ああ。おもしろいコンセプトなのに惜しかったですね……。でも、ちゃんと就職活動は済ませていたというのが、こう言うと失礼ですが、意外でした。
さっき言った、東京のお笑いのライヴに行っていた縁で、イベント制作会社に就職させていただきました。
甘茶
それで上京されたと。
働き始めてみると、これがまたすごく忙しくて。営業からイベントでの受付・もぎりなどやることいっぱいですし、営業先のショッピングセンター、パチンコ店、学園祭実行委員、そして、タレントさん・お笑い事務所などの間に立って奔走していました。
甘茶
じゃあ、各方面に営業電話かけてアポとって、イベントを提案するってことですよね。たしかに大変そうです。
本当に全部の仕事ができませんでした。完全に知能も精神年齢も足りていなかったです。
甘茶
傍から聞いていても難しそうですからしかたなさそうです。うまくできない仕事だとつらくないですか。よく辞めませんでしたね。
はい。お笑い関係が主だったので、やっぱり面白い雰囲気で良かったですし。あとは、その先のことを何も考えていなかったので。
甘茶
じゃあ一年半で辞めたきっかけは、何か引き金があったんでしょうか?
そうですね、あまりにも周囲に迷惑かけていたので、「さすがにもうやめないと申し訳ない」って踏ん切りがついたんです。その時点でも先のことは見通しは全然立っていませんでしたが、漠然と「マンガだ」とは思っていました。
甘茶
そこで、短大時代一切描かなかったマンガに原点回帰ですね!?
はい、一発当てたらデカいじゃないですか。会社辞めて実家戻ることにしたんです。そんな想いで帰る前に描いたのが『ハナ』でしたね。こうして、秋田でフリーターしつつ、本格的にマンガ描き始めたんです。
甘茶
その頃からもう「窓ハルカ」名義だったんですか?
そうですね。働いていたイベント会社は飛行機関係のあだ名で呼び合うのが決まりだったんですが、私と同期ははそれぞれ窓側・通路側と決められて、そこから「窓さん」って呼ばれるようになったのをそのままペンネームにしました。 実家戻ったのは親も歓迎してくれましたね。
甘茶
じゃあ、比較的、マンガ描くのが許された環境だったんですね。
はい。実家戻ってから描いたのが『ある女』『沼と老夫婦』『金魚の窒息』です。試行錯誤をしていた頃ですね。いろいろな賞に投稿したけれども、何一つひっかからないんです。 やっぱりダメかと諦めかけたんですけど、『ある女』を講談社の『BE・LOVE』に出したら、編集さんから電話がかかってきて。「とうとうデビューか?」と思ったら違って、「賞には入らないかもしれないけど、がんばってね」という励ましの電話でした。 でも、それがすごく嬉しかったんです。「うちの雑誌に載ることはないけど、個人的には応援したい」って言ってもらえたんですね。それで勇気づけられて「もしかしたら私、本当にマンガ家になれるんじゃないか」と勘違いしちゃいました。
甘茶
いや、それは嬉しいですよね。いい話。

4へ続く

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「名も無き一夜のファンタジー」 / 窓ハルカ 販売価格(税込): 864 円 A5判 114ページ 発行日: 2014/02/02